金視点で見出す二種類の人間像
どうも、運動の為に自転車で買い物に行ったのを忘れて電車で帰宅する男、侍魂です
昨夜も爽やかな排気ガスで満たされた都心の空の下、夜勤に勤しんでまいりました
生きていると必ず何かしらの辛い事や嫌な事を経験します
自分に起きたり、大切な人に起きたり、裏切りだったり根も葉もない陰口だったり病だったり様々だ
どうしてこんな事になるんだろう…
人生に於いて起きる事に無駄なものは無いと言うがほんまかいな
本当のところは分からない、それでもその意味付けは各々が自由に出来るものです
人にさせるかさせまいか
嫌なことや辛い事と言っても大それた事じゃなくていい
・挨拶したが仏頂面で返してくれなかった
・仕事で先輩に高圧的に怒鳴られた
・根も葉もない悪口を流された
・あおり運転をされた
地球規模や宇宙観点から見たら些細な事ですよ
でもこれにどう意味を持たせるか、即ち人生の学びに変えるか
それは自分が経験した苦い記憶、これを他人にすまいと思うことじゃないかな
自分が嫌だったことは他人も嫌に決まってる
自分が味わった嫌なことを人にすまいと意識するか
それとも何も考えずにしてしまうか、もしくは進んで他人に同じ思いをさせるか
この意識の差、学びの差は物凄く大きいと思う
人生は自分の善行は善行で、悪行は悪行で
返ってくるものだから
総括
如何に学びを得ようとも、自分ではどうにも出来ない事もあるし祈ることしか出来ないこともある
私の一番の学びと言えば前妻の大病、そして死別までの期間に味わった事だろう
もちろん沢山の学びを得たし命の奇跡も少しは体感したつもりだ
だから仲間には同じ思いをして欲しくないし、愛しい伴侶に死別の悲しみを背負わせるなど絶対にしたくないわけで
しかしいかに願っても、私に出来ることは祈ることや自分の健康を気遣うこと、仕事や運転の事故に注意を払うことくらいしか出来ない
でもそれでいいんだ、意識するかしないかの差はいずれ物凄く大きな結果となり返ってくる
意識が変われば言動が変わり、それが習慣となり人生を変える
何に気付き、何を学び、そしてどんな意味付けを成すか
それは全て各々に懸かっている
嬉しかったことは率先して人に行おう
妻がお酒を買ってきてくれたのが嬉しかったから、これからも酒は切らさずに常備しておこう
えっ?自分が飲みたいだけじゃないのかって?
そこはほっといてくれ(笑)